なぜ、「屠殺」が変換されないのか、について。

http://d.hatena.ne.jp/pixybadgerl/20041206#1102301087
ちょうど僕がいま勉強していることとリンクしているので、ちょっとした考察を。まずはこちら↓のリンクを参照。
屠殺・屠殺場は差別表現?言想風景さんより)
カート・ヴォネガットJr.の『屠殺場5号』という小説も後に『スロータハウス5』というタイトルに変えられてしまった、ということを確か村上春樹が書いていました。*1
んで、日本では明治のはじめに肉食が解禁され、その後は西洋に追いつくために肉食が奨励されていきます。しかし長いこと禁忌とされてきた肉食、そう簡単に皆の意識は変わりません。*2
屠殺場は、作られては地域住民からの非難を受け、迫害され、立ち退きを迫られたのです。当時の日本では家畜の肉を食べるなんて、とんでもない穢れたことだという意識が根強かったのです。
国民に肉食を浸透させるため、明治天皇が自ら肉を食べ『我ガ朝ニテハ中古以来、肉食ヲ禁セラレシニ、恐レ多クモ天皇、イワレ無キ儀ニ思シ召シ、自今肉ヲ遊バサルル旨、宮内ニテ御定メコレ有リタリト云。』という御触れが出されます。
それでも特に地方では肉食を忌む慣習はずっと抜けなかったのです。少なくとも自分が研究している村井弦斎の『食道楽』が書かれた明治36年までは。
こうして、屠殺に係わる人々への誤解→偏見→差別は生まれ、そして続いてしまったのだと思われます。
その結果「屠殺」という言葉を自粛する流れが・・・・・・それはやっぱりおかしいですよね。臭いものには蓋じゃあ、いつまでたっても誤解、偏見、差別は解消されませんよね。

*1:ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ

*2:肉食禁止といっても、もちろん猪だの兎だの食べていた肉もあります。というか仏教が広まり禁止される以前は食べていたようです。禁止されていたのは牛・鶏・豚などです。